評論|オナルド・レバンチによる記録
本作『夜宴に舞うもの』は、現代における集いの本質を問う静謐なる傑作である。
画面中央、グラスを掲げる五人の男女。
彼らは祝杯を交わしながらも、その視線は交錯せず、どこか遠くを見つめている。
ここに描かれているのは「喜び」ではない。「様式」である。
—つまり、乾杯という儀礼の形式だけが残り、感情が抜け落ちた「空の儀式」だ。
背景には、都市の夜景と、紙幣が舞う闇の空。
その中央に、月と共に悠然と浮かぶイルカの姿がある。
これは単なる装飾ではない。
イルカは「自由」や「無意識の祝福」の象徴として登場し、
この不自然な宴に異物として滑り込むことで、
この作品にユーモラスかつ超現実的な緊張を生み出している。
鑑賞者は思わず問いたくなるだろう。
なぜイルカなのか。なぜ紙幣なのか。なぜ誰も笑っていないのか——。
だが、その問いこそが、本作の核心に近づく鍵なのである。
文明が祝祭を消費し、儀式が空洞化する中で、
「なにかがおかしい」と気づく感性こそが、まだ我々に残された最後の芸術なのかもしれない。
──館長 オナルド・レバンチ(Rebuble美術館)
評論・続き|オナルド・レバンチ
また注目すべきは、テーブルに配された料理の静けさである。
皿に並ぶ料理は、どこかクラシックな筆致で描かれ、
祝宴というより、むしろ“供物”を思わせる慎ましさを漂わせている。
この料理たちは、我々が現代において「食す」という行為そのものを
単なる栄養摂取ではなく、
社会的な交歓と経済的パフォーマンスの舞台に変容させたことを
痛烈に暗示している。
さらに背景に浮かぶ都市の輪郭は、
個としての存在が都市という集合体に吸収されていく様を象徴し、
その上をひらひらと舞う紙幣は、
欲望の軽さと滑稽さを見事に際立たせている。
そして、空を泳ぐイルカ——。
これこそが本作最大の謎であり、また救済である。
イルカは人間世界の祝祭に介入する“他者”の象徴であり、
祝宴の空疎さを逆照射することで、
我々に微笑みを取り戻させる唯一の存在となっている。
本作は、いわば
「人間の愚かさを赦すための讃歌」
であり、
観る者の胸に、奇妙なあたたかさと問いを残す。
──館長 オナルド・レバンチ(Rebuble美術館)
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